第6話「松蔭はどこだ?」
千葉道場を追い出された龍馬は、行く当てもなく溝渕にも言えずにいました。
その頃、佐那は兄・重太郎に龍馬が道場に戻れるように父を説得してほしいと頼みます。
千葉定吉は龍馬を嫌っていたわけでなく、自分の分身として剣の技を磨く事の大切さを龍馬自信にきずかせたかったのです。
その頃の龍馬は、桂小五郎が話していた吉田松陰のことを思い出し、自分の悩みを解決してくれるのではと松陰に会わせて欲しいと小五郎に頼んでいました。
そして、嘉永7年(1854)1月16日
今度は「開国しないと戦争だ」と黒船が9隻でやってきました。
安政元年(1854)3月
日本は鎖国政策を終結しアメリカと日米和親条約を結びます。
ここから激動の幕末史が幕を開けるのです。
そして、この黒船に乗り込もうとする男もいました。
吉田松陰です。
吉田松陰は、わずか8歳の時、藩校の明倫館で教授見習いとなり、10歳で藩主の御前で講義をした経歴を持つ、異常な秀才と言える人物です。
もしこの密航が幕府にばれれば死罪をま逃れることはできません。
その情報を事前に得た桂小五郎は龍馬と共に密航を止めに行きました。
しかし、松陰の医師は固く、失敗を恐れて「何にもしないでいることよりも何万倍も価値がある。
自分は死を恐れてなどいない、自分の今やるべきことをする事に何の言い訳もない」と言い放ちます。
龍馬は自分も密航に同行したいと言いますが、思い切り殴られ松陰はこう言います。
「これは私のやるべきことで君のすべき事ではない」
「君は何者だ。何のためにこの天の元にいる。君がやるべきことは何だ。考えるな己の心を見ろ。そこにはもう答えがあるはず。」
そして、龍馬は再び千葉道場を訪れます。
剣をただの道具と考えてしまっていた自分が間違えていたこと。
己が何者か、己が進むべき道がどこかというのは己を極限まで追い詰め無の境地に達してこそ見えてくるもの。
その為に剣術の修行に励みたいと頭を下げます。
定吉の「剣で黒船に立ち向かえるのか」と言う質問に龍馬は、「黒船に通用するかしないかは剣ではなく、坂本龍馬という人間の問題です」と答えます。
胸が熱くなるシーンでした。
龍馬はたくさんの情熱ある権威者から、いいものをどんどん吸収して、大きな人間へなって行くのです。
偶然のめぐりあわせのようですが、必然だったのかも知れません。
坂本龍馬という男は、日本を発展させるために絶対的に必要な存在だったのですから。